J-21 九州北部

2020.01.01

100-20 九州新幹線新鳥栖駅(佐賀県)

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あけましておめでとうございます。2020年最初の投稿は、佐賀県からです。

この駅が立地する鳥栖市は、九州の陸上交通網において福岡・熊本・鹿児島・宮崎の各県を結ぶ南北軸と長崎・大分の両県を結ぶ東西軸の交点に位置する要衝となっています。そしてこの新鳥栖駅は九州新幹線(鹿児島ルート)の全線開業にともない長崎本線との乗り換え駅として設置され、さらに新幹線の長崎ルート開業の暁にはその分岐駅となることも想定されています。

「鳥栖」の漢字の意味を直訳すると「鳥の巣」となります。このプラットフォームの天井の煩さは、私にはまさに鳥の巣のように見えたのですが、どうやら駅舎全体が「鳥」をコンセプトにデザインされていたようです。

この駅に対して特に思い入れがあったわけではないのですが、今回を逃すと当サイトで佐賀県内の風景を取り上げる機会はしばらくなさそうなので(苦笑)、乗り換えを利用してとりあえず投稿しておきました。

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2019.12.22

100-13 やまなみハイウェイ(大分県九重町)

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大草原の中、遠くの山々に向かって真っ直ぐに延びる一本道…そんなアメリカ大陸のモニュメント・ヴァレーを思わせるような(あちらは砂漠ですが)雄大な風景が、日本でも北海道以外で見られるとは思っていなかったので、この「やまなみハイウェイ」を車で走れて、大満足でした。

興奮のあまり結論から語ってしまいましたが(笑)、「やまなみハイウェイ」とは、大分県別府市と熊本県阿蘇市を結ぶ県道11号の別称で、九重連山を望み、大草原が続く眺めのよさから九州屈指の人気ドライヴ・ルートとなっています。その中でも特に、飯田高原(はんだこうげん)内に位置するここ「長者原(ちょうじゃばる)」地区は、絶好の撮影スポットとして有名だそうで、どうやら思わず車を停めて写真を撮りたくなってしまったのは私だけではなかったようです。

今回で大分県を離れ、次回からはいよいよ熊本県に突入です。

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2019.12.20

100-12 花月川越しに見たクンチョウ酒造(大分県日田市)

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前回(100-11)ご紹介した「クンチョウ酒造」の敷地を、日田の城下町(豆田町)の北側にあたる花月川(かげつがわ)の対岸からみた風景です。

一部が石積みとなっていて、コンクリートが色褪せた高い護岸と植え込みの奥に古い酒蔵の屋根瓦だけが遠くの山々の稜線のように霞んで見えて、ちょっと幻想的です。

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2019.12.19

100-11 クンチョウ酒造(大分県日田市)

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ここ数日来ご紹介している日田の城下町(豆田町)に入る橋のたもとの四つ角という一等地に敷地を構える蔵元で、日本酒の歴史や製法を知る酒蔵資料館、蔵元ショップ、カフェ、ギャラリーを併設しています。1702年に建てられたという最も古い酒蔵をはじめ、5棟の蔵がすべて建築当時の姿で残っているのは全国的にも珍しいそうなのですが、その古さのせいか屋根瓦の色が一部色褪せて白っぽくなっている点が、日本的というよりはどこか中国風に感じられてエキゾティックです。

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2019.12.18

100-10 豆田上町通り(大分県日田市)

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前回(100-9)ご紹介した「豆田御幸通り」と並行する、豆田町のもう一本の南北筋がこの豆田上町通り(まめだうわまちどおり)で、車通りが多く、銀行の支店等も立地していたりするので、どちらかというとこちらの方が表通りなのかもしれません。車道部分の舗装のアスファルトは白っぽく着色され、歴史的景観と歩行環境への配慮が多少なりとも感じられます。

この通り沿いで一際目を引くのが、画面右側の「岩尾薬舗 日本丸館(いわおやくほ にほんがんかん)」です。江戸時代に開業し、明治20年に特効薬「日本丸」の製造販売を開始したこの薬局の建物は、平成5年に明治から昭和初期の建築物や製薬資料、生活遺産品などを展示する資料館として公開が始まりました。昭和初期に展望楼を増築して現在の3階建ての姿となり、城郭建築を思わせるその外観から「豆田の天守閣」と呼ばれ、展望楼からは日田の街並みが一望できるそうです。平成4年には市の都市景観建築指定第1号に、平成14年には国の有形文化財として登録されています。

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2019.12.17

100-9 豆田御幸通り(大分県日田市)

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九州のほぼ中央に位置する大分県日田市の中心地である豆田町(まめだまち)は、江戸時代幕府直轄の城下町として栄えた「天領」で、今なお往時を偲ばせる古い建物や町並みが数多く残っているエリアです。1983年に豆田地区町並み保存推進協議会を設立し、町並み保存運動を行ってきた結果、2004年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

豆田町は南北2筋、東西5筋の通りから構成されていますが、南北筋の一つであるこの御幸通り(みゆきどおり)は、電柱を撤去して地下に埋める工事を行い、より伝統的街並みを再現したことにより、国土交通省の2001年度の美しいまちなみ大賞(「都市景観大賞」の後継)を受賞しています。

ほんの小さなエリアに古い建物が密集しているので、昔はほんとうに中心街らしい賑わいが感じられる場所だったのでしょう。

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2019.12.15

100-8 金鱗湖(大分県由布市)

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前々回、前回(100-67)に引き続き、由布院の風景をお届けします。

「きんりんこ」と読むこの湖は清水が湖底から湧出し温泉が流れ込むため、外気温の低い日には湖面に湯気が立ち上がるという幻想的な光景が見られることもあるそうです。

面積0.8ha、周囲約400m、水深約2mという規模は「湖」と呼ぶにはあまりにもちっぽけですし、畔には昔ながらの共同浴場と小さな美術館くらいしかなく「由布院を代表する観光スポット」というのは少し大袈裟な気もするのですが、トンボが舞い、鯉が泳ぐ、木々に囲まれたこの水辺の風景には長閑で癒されるものがあり、由布院という街が持つ雰囲気を象徴するような場所とは言えるのかもしれません。

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2019.12.14

100-7 湯の坪街道(大分県由布市)

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この街路景観の前に、地域全体についてのご説明から始めたいと思います。

由布院は、由布岳の麓にある金鱗湖(きんりんこ)の周辺に広がる温泉地です。湯量が豊富で広い範囲に湯が湧くため、各宿泊施設は一カ所に集積する必要が少なかったことから、賑やかな街並みから外れた周辺の川端や林の間、丘の上などに点在しています。一軒一軒の敷地が比較的広い高級旅館が多く、街の造りはゆったりとしている上、開発規制により高層の巨大旅館やホテルもないため、静かで田園的な雰囲気を持っているのが特徴です。

元々は鄙びた温泉地で、昭和の温泉街に多く見られたような団体観光客向けの大型ホテルやネオンサインきらめく歓楽街がなかったのですが、昭和40年代から町ぐるみで毎年夏に映画祭や音楽祭を開催するなど、ドイツの滞在型保養都市バーデン・バーデンをモデルとし、歓楽色を排して女性が訪れたくなるような環境整備を続けてきた結果が、現在の評価につながっているようです。

この「湯の坪街道」は、前回(100-6)ご紹介した由布院駅から、次回取り上げる予定の金鱗湖に続く由布院温泉の「メイン・ストリート」で、沿道には洒落た雑貨屋やレストランが建ち、周辺には各種の美術館が点在しています。

あえてこれまで述べてきたような由布院のイメージに沿った、緑豊かで、静かで落ち着いた街路景観に見えるように撮った画像を載せてみましたが、実際には東京・原宿の竹下通り等と変わらないような、けばけばしく派手な看板を並べたチャラチャラしたファストフード店や土産物屋等も少なからずあり、街の雰囲気を台無しにしていたりもします。

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2019.12.13

100-6 由布院駅(大分県由布市)

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前回ご紹介した別府の隣町・由布院からお送りします。

この駅舎は、地元大分県出身の世界的建築家・磯崎新氏の設計により平成2年に竣工しました。中央部の高さ12mの吹き抜けのあるコンコースがシンボリックです。

全体の構成はシンメトリー(左右対称)で、各部の屋根のカーヴは全て同じ半径と、極めてシンプルな形態です。板張りの外壁の色彩は黒で統一され、そのクールでストイックな佇まいからは「引き算の美」のようなものが感じられます。言うまでもなくこの駅は由布院温泉の玄関口となっていますが、この温泉地の雰囲気によくマッチしているように思います。

その由布院温泉については、次回以降詳しく触れたいと思います。

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2019.12.11

100-5 海地獄(大分県別府市)

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大分市に続いては、県内第2の都市で、温泉地として全国的に名高い、別府市からお送りいたします。

源泉数、湧出量とも日本一の規模を誇るという別府温泉には、含有物によって青、赤、白など様々な泉色を呈する温泉や、間欠泉などの特色のある源泉が点在し、これらの中には温泉の熱を利用して飼育・育成した動植物を展示する施設を併設したものもあります。このような入浴ではなく、観覧を主な目的とした温泉は「地獄」と呼ばれ、これらを周遊する「地獄めぐり」は別府観光の目玉の一つとなっています。

「地獄」が観光施設として商業化されるようになったのは、明治43年にここ「海地獄」が施設を整えて入場料を徴収するようになったのが始まりとのことです。源泉が硫酸鉄によって一見涼し気なコバルト・ブルーの色をしていることからこのように名づけられた「海地獄」は、他の3つの「地獄」とともに国の名勝に指定され、別府の「地獄」の中で最も広大だそうです。

とはいえ、主役である珍しい色の源泉自体はそれほど大きなものではなく、むしろ私が心を惹かれたのはそれを取り囲む木々や花に囲まれたどこか南国ムード漂う広大な日本庭園で、中でも特に「地獄」に隣接した池に浮かぶ、この美しい円を描く立派な蓮の葉です。このオオオニバスは温泉水によって栽培されているそうで、なんとお盆のシーズンには大きく育った葉の上に子どもを乗せるというイヴェントまで開催されているようです。

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