E-4 (ベルリン)

2009.03.17

72-3 チェックポイント・チャーリー(ドイツ・ベルリン)

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それなりに歴史のある街であれば、その風景は何かしら移り変わっているものです。今、目の前に広がっている風景の中に、失われたかつての風景を思い起こさせるような何らかの「仕掛け」があると、足を止めて、その街の歴史についていろいろと思いを巡らせてみたくなります。

大通りのど真ん中に、唐突に、名もなき若いソ連兵(実在の人物だそうです)の顔写真がデカデカと掲げられている、異様で、不吉な雰囲気の漂うこの場所には、かつて「ベルリンの壁」で隔てられた東西ベルリンの間を往来する数少ない検問所がありました。画面右側には英・仏・露の3ヶ国語でその事実を示す看板が残されており、このそばには「壁博物館」があります。

ベルリン市民にとって、その存在はあまりにも忌まわしい記憶だったためか、街なかから「壁」は跡形もなくすっかり消え去っていて、今ではそれがどこにあったのか全くわからないほどです。ここは、目を背けたいけど、決して忘れてはいけない、語り継いでいかなければならない歴史の現実に出逢える、貴重な場所なのです。

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2008.12.26

66-7 クーダムのショー・ウィンドウ(ドイツ・ベルリン)

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冷戦時代には周囲をぐるりと東ドイツに取り囲まれ「赤い海に浮かぶ自由の島」と呼ばれていた、西ベルリン随一の繁華街がクーダムです。そんな歴史的背景があったせいか、この付近の風景には、ヨーロッパの都市にしては珍しく、資本主義社会における自由な経済活動の象徴である広告看板類が、街並みの中でやたらと目立っていたように感じました。

そしてこの画像の場所では、通常は店の建物の壁面にあるショー・ウィンドウに加え、そこから切り離されたように、通り沿いの各店がそれぞれ前面の歩道の中央に、店ごとに独立した箱状のショー・ウィンドウをわざわざ設置しています。(もしかしたらこの箱状のショー・ウィンドウの建つ位置までが建物の敷地内、いわゆる「歩道状空地」で、公共用地としての歩道はその先の部分なのかもしれませんが)。

このようにショー・ウィンドウの面積(容積?)が多いと、やっぱりその分消費意欲がそそられたりするんでしょうかね? 通り沿いの賑わい形成に貢献する効果はあるように思いますが。

※関連バックナンバー 43-5「オイローパ・センター前の広場」

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2008.09.13

60-1 IBAの集合住宅(ドイツ・ベルリン)

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IBAの一環として建てられた集合住宅で、アルド・ロッシ氏による設計です。正方形の窓等、ファサードが単純な形態で構成されていて、まるでおもちゃのブロックで作った家のようなポップさが感じられていいな、と思います。

ベルリンの中心部は、人口300万を超す大都市でありながら、高層ビルがそれほど多くなく、全体的に画像のような中層の建築で街並みが構成されていて、この集合住宅もそのスケール感に調和するように建てられています。

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2008.06.10

53-5 IBAの集合住宅(ドイツ・ベルリン)

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IBAとは「国際建設展覧会」を意味するドイツ語の略称で、街を舞台に国際的に著名な建築家による住宅作品の「競演」が展開されています。
ベルリンの中心部を歩いていると、伝統的な街並みのスケール感は保ちながらも、個性豊かにデザインされたモダンな集合住宅が各所に点在しているのを見ることができます。原色をふんだんに使ったこんな建物があると、街の風景も明るく華やぎますよね。大きな一つの建物なのに、まるで小さな建物がいくつか集まっているように見える、ブロックごとの塗り分け(分節化)の工夫も面白いです。

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2008.05.23

52-4 オイローパ・センター(ドイツ・ベルリン)

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以前取り上げた広場の画像の、球体の彫刻の裏側は、こうなっています。
造形と水の動きが面白く、広場の風景を魅力的なものにしています。

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2008.01.15

43-5 オイローパ・センター前の広場(ドイツ・ベルリン)

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「オイローパ」はEuropeのドイツ語読みで、通貨ユーロは「オイロ」と発音されます。そう考えると、この名前も覚えやすいのではないでしょうか。画面右側に見える黒いビルが「オイローパ・センター」で、西ベルリンでは数少ない展望スペースがあるようです。

ベルリンの壁が崩れ、2006年にベルリン中央駅が開業するまでは、ベルリン(特に西ベルリン)における最も重要な鉄道駅はツォー駅(Zooのドイツ語読み。つまり、動物園)でしたが、この広場は、そのツォー駅のほぼ駅前に位置しています。さらにこの広場と、隣接するカイザー・ヴィルヘルム教会からは、「クーダム」と「タウエンツィエン通り」という、西ベルリンを(ということは、ベルリンを)代表する繁華街が延びています。ということは、この広場はまさに西ベルリンの(ということは、ベルリンの)賑わいの中心である、と考えてよいでしょう。複雑に彫られた、水の流れる巨大な球体の彫刻がユニークです。

この地区には、ヨーロッパの都市にしては珍しく、日本の都市のように街なかに看板類が溢れています。そうした類のものが控えめだった東ベルリンの側からこの地区にやって来て、人々と看板で溢れた華やかな商店街を見た時、私はなぜだかホッとしたような気持ちを覚えました。これが西側資本主義先進国の大都市で育った人間にとっての普通の感覚なのかな、などと思ったものです。

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2007.12.30

42-10 ダイムラー・シティ(ドイツ・ベルリン)

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西暦2000年前後、ベルリン・ポツダム広場に面した地区では「ソニー・センター」をはじめ、複数の再開発プロジェクトが同時に進行していましたが、その中で最大規模の開発がこの「ダイムラー・シティ」です。13の街区に分かれた地区全体のマスター・プランを建築家レンゾ・ピアノ氏が監修し、その下でこの「ダイムラー・シティ」を担当したリチャード・ロジャース氏他、世界中の著名な建築家が街区ごとに腕をふるっています。ちなみに言い忘れましたが、今回のシリーズの最初(42-1)に取り上げた「ポンピドゥー・センター」も、このレンゾ・ピアノ+リチャード・ロジャースのコンビによるものです。どこか相通じるものがあるでしょうか?

ところで、地区全体のデザイン・コントロールが行われている、という割には、なんかこの街区の建築デザインは自由奔放な感じで、あちこちがトゲトゲしくちょっと落ち着かないような気がします。大通りに対して妻側を見せているような不自然な斜めの形態が連続し、外壁の色やテクスチュア(質感)の全く異なる別々の建物を、何とか壁面の位置だけ揃えて、無理やり一つの庇の下におさめた、という感じの街並みです。こういうコラージュ感が21世紀の新しい都市の風景としてはふさわしい、ということなんでしょうか?

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2007.07.18

32-2 ウンター・デン・リンデン(ドイツ・ベルリン)

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「ウンター・デン・リンデン」は、ドイツ語で「菩提樹の下」を意味する通りの名で、かつてはベルリン一の目抜き通りだったそうです。森鴎外の「舞姫」を読んで(教科書で・・・)、そこに登場するドイツ語らしい力強いその名前の響きに惹かれ、ベルリンへ行ったら是非歩いてみたいと思っていた場所でした。

しかし、長きにわたる共産主義支配の結果でしょうか、2000年のウンター・デン・リンデンの沿道からは、商業施設が建ち並ぶことによる賑わいや活気は感じられませんでした。しかもこの並木道は、鎌倉・若宮大路の「段葛」のように両側を車道に挟まれた独立した歩道になっているので、沿道の建物のファサードやショーウィンドウを楽しみながら歩ける、というよりは並木の間をひたすら歩かされている、という印象でした。春の陽気と木陰の風景は清々しいものでしたが。

※関連バックナンバー 2-2「6月17日通り」

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2006.10.11

13-5 ソニー・センター(ドイツ・ベルリン)

135_1前回の世田谷から西へ進み、ついにベルリンまでやって来ました(笑)。
ベルリンの壁によって分断されていたポツダム広場周辺の再開発地区の一つで、2000年に欧州大陸におけるソニーの新たな拠点として建設され、オフィスの他、商業施設や文化施設等も導入されています。画像は地区の中央に位置する円形の広場のショットで、上空にはサーカスのテントのような大屋根が架けられています。
で、この大屋根なのですが、遠くから見ると、日本人の私にはどうみても富士山をイメージしたとしか思えないようなシルエットをしているのです。実際現地でも「ベルリンのフジヤマ」と呼ばれているそうです。日本企業だから富士山でいいか、という単純な発想がヨーロッパでも許されてしまうんですね。そして文化侵略だなんてという批判は起きなかったのでしょうか。ちょっと気になります。

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2006.08.29

10-8 建築ガイドのサイン(ドイツ・ベルリン)

108ベルリンの壁が崩れ、統一ドイツの首都となったベルリンは、2000年前後、建設ラッシュのさなかにありました(その後少しは落ち着いてきたのでしょうか?)。民間による再開発や、連邦政府関連の施設だけでなく、首都の移転に伴い多くの国が大使館を新設しました。
そんなベルリンの大使館街で見かけたサインです。ここには、街区一帯の建築についての情報(名称、所在地、設計者、建築時期)がドイツ語と英語で記されています。現代建築に興味がある人にとってベルリンという都市は格好の研究材料なので、こうしたサインが街じゅうに立っているととてもありがたいはずで、これらが機能することによって、街全体がまるで巨大な建築博覧会場のように見えてきます。何かの本で読んだのですが、ドイツ人はもともと建築という行為に対して非常に興味を示す民族らしく、このようなサインが存在する背景にはそうした事情が反映しているのかもしれません。

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