「湯畑(ゆばたけ)」とは、温泉の源泉を地表や木製の樋に掛け流し、温泉の成分である湯の花の採取や、湯温の調節を行う施設のことです(柵の内側に見えています)。ここ草津温泉では、湯畑の周囲が広々としたロータリー状になっていて、画面右側の小屋で足湯ができたり、ベンチが置いてあったりと、広場的に整備されています(デザインは故・岡本太郎氏によるものらしいです)。広場の周りには土産物屋、旅館、共同浴場等が建ち並び、観光客で賑わう、草津の温泉街の中心的な空間、シンボル的な存在となっています。
しかし、考えてみれば何だか奇妙です。湯けむりが上がっていて温泉らしい風情が感じられるからよいようなものの、言ってみればこうした施設は、一般的には人の目に触れないような場所に配置されるはずのものです。例えば、同じく水に関連する浄水場や下水処理場のようなインフラを、街のど真ん中に露出させて配置して崇め奉り、その周りが広場になって人々が集まる、といった光景が想像できるでしょうか?
ところが、私の妄想は、そこからさらに展開します。水は都市の成立にとって、もっと言えば人間の生活にとって必要不可欠なものです。例えば、都市の上水道が十分に発達していない時代・地域・社会において、水の湧き出る場所が発見されて、その周りに街ができ、女たちが家々から毎日、街の中心にある泉に水を汲んだり、洗濯をしたりするために通い、そこで「井戸端会議」の輪が広がり、泉の周りに集まる人々を目当てに行商人がやってきて、市も開かれ、泉は都市の中心、街のシンボルとして確固たる地位を築いていく・・・そんなストーリーがあっても全然不思議じゃないと思います。水は都市の中心にあるべきで、もっとみんなに親しまれ、大事にされるべきもの。この湯畑に人が集まる光景を見ていると(ここではお湯ですが)、そんなことを思ってしまいました。水あっての人間、都市。お湯あっての草津温泉ですからね。